源義経は、義朝の九男として生まれました。義朝が平治の乱で平清盛に敗れて亡くなった後は、京都の鞍馬寺にあずけられています。
しかし、僧になることを嫌った義経は、16歳で鞍馬寺を脱して、平泉に向かいました。藤原秀衡は、義経をあたたかく迎えたといわれています。平泉は、義経が青春時代を過ごした地です。
義経は、兄の頼朝が平氏に対して兵をあげたことを知ると、平泉から頼朝のもとにかけつけています。義経は、一の谷の戦いと屋島の戦いで平氏に大きな打撃をあたえ、ついには壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。
義経は、平氏を滅ぼしたごほうびに朝廷から役職をもらいましたが、そのことで頼朝との仲は悪くなってしまいました。そして、ついに義経は追われる身となり、長い逃避行の末、再び秀衡のもとに身を寄せたのです。しかし、秀衡が間もなく亡くなったため、頼朝からの圧力は強まっていきました。秀衡の跡を継いだ泰衡は、この圧力に耐えられず、衣川館にいる義経を襲います。義経は、ついに妻子とともに自害したのです。