夏草なつくさや つわものどもが ゆめあと」 芭蕉

意訳
(夏草が勢いよく茂っているなあ。ここは武士達が武器を取り、夢や野望をいだいて戦い、確かに生きて、そして死んでいった、その跡だ。)


高館の夏草
高館の夏草
 芭蕉はこの句を詠んだとき、中国唐の詩人杜甫とほの詩『春望しゅんぼう』を「国破れて山河在り、城春にして草青みたり」と思い浮かべ、その時空を越えた変わらぬ真理、普遍性に気づき感動し涙を落とします。今は草深くなってしまったここ平泉に、戦乱で破壊されたとうみやこ長安ちょうあんのような栄華を極めた都市があり、多くの人々の人生があったことを知っていたからです。



春 望しゅんぼう

くだし文)  杜甫とほ(712年~770年)

くにやぶれて山河さんが

(国の都は戦乱で破壊されたが、山河はもとのままあり、)

しろ春にして草木そうもく深し

(都長安の町の城壁の中は、春となり草木が茂っている。)

ときに感じては花にも涙をそそぎ

(戦乱のこの時に感じるのは、美しい花を見ても涙が流れ、)

わかれをうらんでは鳥にも心を驚かす

(家族と別れた恨みで、楽しい鳥の声や姿にも心おびえる。)

烽火ほうか三月につらなり

(空見上げれば戦争を知らせる狼煙のろしの煙は三か月(三月さんがつ説も)も続き、)

家書かしょ万金ばんきんあた

(手元にある家族の安否を知らせる白い手紙はお金に代えがたい。)

白頭はくとうけばさらに短く

(家族のために何もできない不安やなげきで白髪頭しらがあたまきむしれば、)

べてしんへざらんとほっ

かんむりかんざしさらず役人としても父としても無力だ。)


 芭蕉が、冒頭の二句を引用した杜甫の詩『春望』は、以上のように全体では、唐の都長安が安禄山の反乱軍に破壊され家族と別れた戦乱の中、夫として父として何もできず白髪頭を掻きむしり家族を思う「白頭掻けば」という杜甫の姿が描かれています。この有名な詩を平泉で思い浮かべて、世界中変わらぬ普遍的な戦争の悲惨さを伝えようとしているようです。
 そして、この時同行していた芭蕉の弟子の曾良そらは、芭蕉の「夏草や」の句に続けて、

はなに 兼房かねふさ見ゆる 白毛しらがかな」曾良


意訳
(真っ白な卯の花が咲いて揺れるのを見ていると、あの兼房かねふさのことが思い浮かんでくるよ。彼の、白髪を振り乱して、主君の義経、そして育ての親として娘・北の方とその子を守り切れなかったなげきの姿が)
平泉に咲く卯の花
平泉に咲く卯の花
という句を詠んでいます。奥州平泉で義経主従と義経の妻子を戦乱の中、義経の妻の育ての親、父として命を守り切れず「白毛しらがかな」と白髪頭を振り乱してうちち死にしたと『義経記』で語られる十郎権頭じゅうろうごんのかみ兼房かねふさ *の姿があります。平泉で臣下や家族と共に滅ぼされた源義経みなもとのよしつねの一生を、悲劇的な後半生を中心に描いた 義経記ぎけいきでは、兼房かねふさは義経の臣下である前に義経の妻(北の方)となる久我こがひめぎみの育ての親、乳人めのととして描かれ、娘を守るために京都から平泉まで同行しています。「兼房見ゆる」と詠んだ曾良も、それを『おくのほそ道』にせた芭蕉も『義経記』を読んでいたと思われます。 平泉に咲いて風に揺れる真っ白な卯の花を見る時、杜甫と兼房の二人の白髪が重なって見える人もいるかもしれません。

*十郎権頭兼房について 新編日本古典文学全集62『義経記ぎけいき』~ 兼房かねふさ最期さいごの事」
  459~467頁より