宮沢みやざわ賢治けんじ

(1896年~1933年)の詩は、芭蕉とは違う、地元じもと 岩手の青年の視点です。

『中尊寺』のの意味
七重の舎利しゃり仏陀ぶっだの遺骨(ここは藤原四代の御遺体か)を納めた小塔(金色堂か)に ふたをするようにかがやいている緑色のほたるの光のような燐光りんこう
大盗賊は銀色の帷子かたびら(銀製の防御ぼうぎょ用の鎖帷子くさりかたびらか)を身にまとい、 おがんですぐに(仏像や仏具を盗もうとして)ひざを立てた。
ほのおのような真っ赤な目玉は丸く大きく見開みひらかれ、
つっぱった両肱りょうひじは光り輝く。
ついに手を触れられなかった舎利の宝塔、
大盗賊は礼拝をして消えてゆく。 )


・このの「大盗たいとう」の解釈については以下の諸説があります。


⑴    平泉の奥州藤原氏を滅ぼした、義経の兄 源頼朝みなもとのよりとも
⑵    豊臣とよとみ秀吉ひでよしの家臣で、東北の乱を平定した後に、平泉にある
   中尊寺の「金銀字交書一切経いっさいきょう」の多くを持ち去り高野山に
   寄進した浅野あさの長政ながまさ
⑶    坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろと戦った蝦夷えみしの族長で平泉達谷窟たつこくいわやに住んだ
   悪路王あくろおう阿弖流為あてるい説も)
⑷    万人共有の素晴らしい言葉を積極的に学んで「る」詩人
   であり、どんどん取り入れる知識欲ある人であると同時に、
   人間活動の「とること」をためらいうたがいを抱く宮沢賢治。